幕末動乱の京都 河原町、木屋町を歩く♪ 【前編】
まいまい京都のツアーに参加してきました♪
【木屋町】幕末研究者・木村先生と巡る、藩邸ひしめく激闘の木屋町へ
~今も残る龍馬の隠れ家、新選組・急襲の池田屋事件、龍馬最期の地まで~
https://www.maimai-kyoto.jp/event/ky24b1910/
この日の集合場所は「京都市役所前」。阪急「京都河原町」から徒歩で1km歩きます。
まいまい京都のガイドさん2名とTVでもおなじみの幕末維新ミュージアム・霊山歴史館学芸課長、木村武仁さんが説明ガイドをしてくれます。
河原町御池の立地の良さ…三条大橋(東海道五十三次の終点)や「高瀬川の一之舟入」がほど近く、御所からも約2.5kmから離れていない。
南北1km、東西400mの間に藩邸が6つ(北から、長州、加賀、対馬、岩国、彦根、土佐)が建っていた。 現在幕末関係の石碑が20基以上建っている。
1. 長州屋敷跡…慶長の末(江戸時代の初期)からここに藩邸が建っていた。「禁門の変」で京都留守居役の乃美織江が火をつけて退却した。その後、幕府に没収され、維新後は明治4年に勧業場、18年に府立画学校、その後は洋風の常盤ホテルになった。近くには法雲寺があり久坂玄瑞が謹慎していた。
2. 桂小五郎(木戸孝允)像もすぐ横にある。
3. 佐久間象山・大村益次郎・遭難地
料亭幾松(現在は一乗寺に移転)、池田屋跡と長州関連の史跡が多い。
3. 加賀藩邸跡碑
100万石の大藩で、藩主前田斉泰の「斉」は徳川家斉の「斉」の字を賜った。
一方、世子・前田慶寧の側近は勤王派で、両者は対立した。
禁門の変で、世子・前田慶寧は長州藩のために斡旋するが失敗した。
藩主、斉泰は、慶寧を幽閉し、加賀藩は佐幕派となった。
加賀藩は「鳥羽伏見の戦い」では旧幕府軍として出陣するが、旧幕府軍の敗戦を聞いて慌てて引き返した。
維新後は槇村正直邸となる。
4. 佐久間象山寓居邸碑
門下生には勝海舟、吉田松陰、橋本左内、河井継之助、山本覚馬、坂本龍馬がいた。象山は江川太郎左衛門に師事した。
幕命で上京し、京都での三度目の住居で、ここに妾と一緒に住んでいた。
その少し前、梁川紅蘭に金100両を渡して、妾の世話を頼むが断られる…。
白馬に洋風の鞍を置いた馬にまたがり、開国論を吹聴し、孝明天皇を彦根に移す策を提案した。そのことから人切り彦斎こと河上彦斎にらに暗殺された。
5. 武市半平太寓居跡碑
土佐勤王党の盟主で、月形半平太のモデルになった人物。
四国屋の離れ座敷「丹虎」があった場所で、少し前までは料亭「金茶寮」だった。
武市は、土佐藩の応接役である京都留守居加役になった。
妻、富子の「内助の功」が知られている。
6. 吉村寅太郎寓居跡碑
幕末の土佐藩で最初に脱藩した人物。
寺田屋騒動で伏見義挙が失敗し、捕らえられて土佐で牢獄された。
天誅組の挙兵まで寓居にし、平野国臣や藤本鉄石が毎日のように訪れた。
7. 対馬藩邸跡碑
桂小五郎は「池田屋事件」の時、対馬藩邸の控屋敷で京都留守居役・大島友之丞と囲碁を打っていて助かったという。
ただ現在の研究では「桂は池田屋にいた」とされる(乃美織江手記)。
幕末の対馬藩は、英国艦が勝手に対馬近海を測量し、ロシア海軍が上陸したため、尊王攘夷派だった。
対馬藩邸は桂小五郎の隠れ家の一つで、「禁門の変」の後にも潜伏している。
対馬藩邸の出入り業者で小間物商の広戸甚助は、桂に出石に250日間も潜伏させた。
8. 池田屋騒動之跡碑
新選組、出動隊士34名を10名の近藤勇隊と24名の土方歳三と井上源三郎隊(祇園)に分けて探索させた。
現在は旅籠茶屋池田屋はなの舞になっている。
地面には鉄板がはめ込んである。
9. 坂本龍馬寓居跡碑(酢屋)
酢屋6代目、中川嘉兵衛は材木商の元締めだった。
龍馬は長崎から後藤象二郎、長岡謙吉らと一緒に上洛し、寓居にした。
酢屋は海援隊の京都本部(屯所)になった。
南側には「高瀬川五之舟入」や彦根藩邸があった。
彦根藩邸の西側には後藤象二郎の寓居「壺屋」があった。
酢屋の前の道は「龍馬通り」と呼ばれている。(昔は親不孝通りと呼ばれていた。)
10. 後藤象二郎寓居跡碑 (壺屋)
土佐藩御用達の醤油問屋。後藤が土佐藩邸に入ると、龍馬も藩邸近くの「近江屋」に移った。
現在石碑のあるホテルリソル京都河原町三条には、後藤象二郎寓居跡&記念ギャラリーもある
龍馬や象二郎と同じように写真も撮ることができる。
11. 彦根藩邸跡碑…譜代大名35万石
「桜田門外の変」後に、京都警備を罷免され、25万石に減らされた。
「天誅組の変」、「禁門の変」、「第二次長州征伐」では幕軍として出兵。
ところが「鳥羽伏見の戦い」では薩長軍につき、「戊辰戦争」では官軍として出兵した。
会津藩公用方、手代木直右衛門が、龍馬が殺害された翌日、彦根藩士、石黒伝右衛門に宛てた手紙が霊山歴史館に収蔵されている。
石黒は彦根藩の京都留守居役を努めたこともある彦根藩の重臣で、彦根藩家老・岡本黄石(半介)と徳川慶喜の新政府入りを画策した人物でもある。
長くなりますので後編に続きます。
地図
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投稿を表示幕末の時代の志士達に憧れますね。
坂本龍馬は、薩摩藩と長州藩の仲がとても悪かった時に仲介役を果たし、薩長同盟の立役者となりました。彼がいなければ、薩長同盟は成立しなかったでしょうね。
大政奉還に大きく関わった事でも有名ですね。
長崎に旅行でグラバー邸に行った事があります。
屋根裏部屋で隠れて幕末の志士達と会議をしていた屋敷に行った事がありました。
この頃は、福山雅治がNHKの大河ドラマ龍馬伝に出演していたから、ここで大事な会議をしてたのか?と思ったら、凄く感動してしまいました。
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投稿を表示まいまい京都ツアーがあるのですね‼️
京都に行った時はほぼ龍馬さんのお墓参りに行きますが、街中を歴史に触れながらの散策もいいですね。
後半も楽しみにしています😊
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投稿を表示現地を巡って歴史に触れる。詳しい方のガイドがあるとより面白いですね❗️知識と現場がリンクすると、なんとも言い難い気分になってしまいます。^_^
団体ツアーにはだいたいガイドの方がいて詳しく説明してくれるので、端にくっついて行くと面白いです。ズル〜❗️^_^
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投稿を表示まいまい京都ツアー、こんなツアーがあるんですね!😵
龍馬大好きだし、幕末の頃の歴史も好きなので勉強になりました。
後半も楽しみにしています😊
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