長電屋代線の思い出に浸りながら現存している松代駅舎を見る。
どうも。
楠木昴流です。
みなさんは長野電鉄(以下:長電)をご存じですか?
長電は長野県を代表する私鉄路線の1つです。
現在は長電長野駅から湯田中駅までを結ぶ長野線1本のみの運行となっています。
長野線では長野と湯田中の間に須坂や小布施、信州中野などを経由しており、
地元路線としても観光路線としても活躍しています。
この長電は面白い箇所が数多くあり、
長野駅-善光寺下駅までが地下駅となっていて一部地下鉄のようになっていたり、
かつては東京周辺で活躍していた普通列車、特急列車の車両が使われていたりなど
紹介してもしきれないほど面白い箇所があります。
本当は詳しくお話ししたいですが今回の話の趣旨からそれてしまうので省略。
今回はその長電のかつての路線にまつわる箇所についてお話していきます。
長電は現在長野線1本のみということになっていますが、
かつては複数路線を運行していました。
長電河東線(一部区間)である信州中野駅-木島駅間だったり、
長電屋代線である須坂駅-屋代駅間などです。
また以前は信州中野駅-湯田中駅を山ノ内線と名乗っていたりしました(のちに長野線に統一)
これらも観光だったり沿線住民の生活を支えるのに活躍していた路線でした。
しかし、自家用車の普及などの影響で収益が下がり、
2002年に長電河東線、2012年に長電屋代線が廃線となってしまいました。
今回はその長電屋代線にまつわる場所に行ってみました。
長電屋代線はもともと長電の前身の一つである河東鉄道によって1922年に開業しました。
1926年には全線が電化され、長電となります。
地方私鉄にしてはかなりいいのではないでしょうか。
そしてワンマンを基本とした運行が行われ、
1990年代からは営団地下鉄(現東京メトロ)3000系が譲渡され3500系として2両編成で運行しました。
2002年に河東線が廃止されたことにより、
残った河東線区間である須坂-屋代間は屋代線と名を変えます。
(以前から地元や一部からは屋代線といわれていた)
そしてその後は最初のほうで書いた通り、
2012年3月31日をもって営業を終了、2012年4月1日から廃線となります。
これを書いていて思い出したのですが、
この2012年3月31日、つまり屋代線最後の日に家族で電車に乗っていました。
屋代線は何度か乗る機会があったりと思い入れが深かったのでせっかくの最後だからと
父と母と乗ることになりました。
当時のことはうっすらと記憶にあります。
松代駅のひとつ隣の無人駅、象山口駅から屋代行の電車に乗りました。
最終日ではあるものの普段から人の少ない無人駅であるためこの日もほかに人はいませんでした。
基本ワンマン運転で切符を買うのではなく基本乗車時に整理券を取り、
下車時に支払いをするというシステムだったような気がします。
せっかくだからと象山口駅ホームでパシャリ。
かれこれ12年も前なのであっさりとしたことしか覚えてないですね.....
ホームでいくらか待っていると電車がやってきました。
長電の当時の主力普通列車である3500系のO2編成。
長電といえばステンレスボディに赤ラインの3500系というイメージがいまだにあります。
まぁ、現在長電の普通列車は
東急田園都市線の8500系ベースの長電8500系と
東京メトロ日比谷線の03系ベースの長電3000系にすべて置き換えられたことで
3500系はもう1編成も存在してはないのですが...
(ほとんどが廃車、解体されているがN7、N8、O2編成は休車扱いになっている)
今見ても当時の3500系の様子が思い浮かぶ...
電車にそこまでの興味はなくとも長電の存在感は大きかったですね。
この写真見るまで知りませんでしたが実に屋代線(河東線)は90年もの歴史があったのですね。
この電車のフォルムやカラーリングはやっぱり好きですねぇ。
その後は車内にはまぁまぁな人がいた気がします。
細かいことまでは忘れてしまいましたが。
これで屋代駅に行き、折り返して須坂駅まで行ってから象山口駅に戻ってくるルートだった気が。
須坂駅についたときはだいぶ外が暗くなってましたね。
それより後はもう何も覚えてません...(´;ω;`)
廃線後は踏切が外され、線路や架線も取り除かれていきます。
そして各駅の駅舎の廃止、取り壊しも。
この象山口駅も今や跡形もありません。
そのほかの場所も更地かサイクリングロードの2択に。
屋代線には長電の持つ数少ないトンネルである北山隧道、離山隧道、関崎隧道の3本があるが
これらは現在も割と状態よく残っている(入口にガードが置いてあるが)。
そして今や屋代線を感じられる場所というのはもうほとんどないのだが完全に0ではない。
数駅だけ駅舎が取り壊されずに残っているのだ。
ということで散歩がてら長電松代駅に行ってみました。
こちらが長電松代駅である。建屋は木造で当時からかなり古かった。
この駅舎はずっと保存されていて営業時と同じ姿である。
駅名看板が外されているなどの違いこそあるがそれ以外何も変わっていない。
僕からしたらいつみてもなじみある松代駅そのものだ。
そしてこれはただ建っているだけではなくちゃんと中に入れるのだ。
僕は入れないものだと思っていたから驚きだ。
どうやら松代駅バス停などの待合所を兼ねているらしい。
入ってみると想像より当時のままだった。
今でも駅として営業できるんじゃないかというくらいの姿で残っている。
ところどころには当時を思い出させるような写真などがかけられている。
こういうかつての雰囲気を感じられるものってなんかいいですよね。
心にぐっとくる。
特に自分的に「!?」となったのはこれ。
定期券購入要の紙がバインダーに挟まって残っているのです!!!
あまり運行時の物たちは残ってない中でこれです。
しかも手書きの物。こんなものが残っているとは...記入例の定期券まで残っています。
これには少し感動してしまいましたね。
ホームに行ってみましょう。
松代駅は単式・島式複合の2面3線の留置線を含めたものである。
現在は島側のホームは撤去されたため駅舎側のものだけが残る。
当時は駅舎側は3番線だった。
線路や島式ホームの場所は砂利の駐車場に転用されている。
3番線ホームは草が生い茂っていることを除けばほぼそのまま残っている。
線路側が駐車場になってしまったため雰囲気は感じられませんが...
ここだけ見ると今でも営業してそうな雰囲気が感じられます。
点字ブロックや地面の表示などもそのまま残っています。
このように廃線後もいろいろなものが残っているとぐっと心に来ますね。
意外だったのが放送設備や出発反応標識すらも残っていること。
ここら辺の機器類まで残っているとは...。
びっくりです。
もっといろいろじっくり見てみたかったのですが時間に余裕がなかったのでここら辺で終わりです。
以前は松代駅ロータリー前には長野のスーパー、マツヤ(現デリシア)があったのですが
10年くらい前に閉店してしまい、数年前に更地になりました。
こんな感じで今回のお話は終わりです。
屋代線は信濃川田駅などまだ残っている駅舎やスポットがいくつか残っているので
そちらも後日行って記事にしたいと思います。
今回は車ではなく電車メインのお話になってしまいましたね笑
ではでは。