写真部

十六夜
2026/03/11 14:55

忘れられない日々

東日本大震災から今日で15年。

あっという間の15年。まだ15年。

震災当時、会員として所属する地元商工会繋がりで、津波で公用車を全て流されて業務に多大な支障が出ている南三陸の商工会さんの話を聞き、今でも乗っているスズキジムニーに地元商工会の協力でかき集めた支援物資を積めるだけ積み込んで、被災地を縦断し南三陸の商工会さんに1年間ジムニーを業務で使って頂くために託して新幹線で帰ってきたのが昨日のことのようです。

いま見返しても、ジムニーによくこんなに積めたな!と🤣







被災地を千葉県旭市から青森県八戸市まで縦断し見た光景、その後何度か被災地を訪れ少しずつ復興していく様子を見て、人間て強いなあと思ったりもします。

最後は現地の商工会さんで無事に荷物を下ろし、商工会で自前の車が揃うまで、道路事情が回復するまでの期間限定でジムニーを使って頂いたこと、ジムニーの勲章としてささやかなながらも誇らしく思っています。

自然災害の多い我が国、南海トラフ地震の脅威だけでなく火山、台風等々、小さな個人にできる備えを整えること、忘れてはならないですね☺️

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2 件の返信 (新着順)
スバル
2026/03/12 05:56

有難う御座います。
私は岩手県沿岸部の中学校に勤務していて被災致しました。
あの時のたくさんの御支援にとても元気付けられた事を思い出します。
今は自宅がある内陸部で再任用として勤務校で語り部のようなことをやっと2年前からやって、先日3回目でした。自分の中で何が起きたのかやっと話せるようになったんです。
これからも伝えていきたいと思います。
有難う御座います。


十六夜
2026/03/12 06:39

おはようございます。
心よりお見舞い申し上げます。
当時、いわき市から仙台市まで北上する途中で福島第一原発の立ち入り禁止区域をかすめるように通りました。
随所に東京から派遣された警視庁の機動隊員が立哨してましたが、皆簡易マスクだけで防護服も無く、ああこの人達も被災者なんだなと感じました。
住民避難で無人となった浪江町の小学校の庭の桜は何事もなかったかのように満開で見事でした。
牡鹿半島ではそこかしこに安置所の看板が出され仮埋葬の杭の墓標が立ち並ぶ様に言葉を失いました。
地元商工会から送り出され、地元の仲間たちにも記録を伝えるために多くの画像を撮りながらでしたが、どこまで行っても同じ景色に、心が無表情になっていくのが自分でも分かりました。
大槌町では町のほとんどが焼け落ちたそうで、私が訪れたときでも火災特有の焼け焦げたにおいが町じゅうに残っておりました。
陸前高田市では、何もなくなり基礎しか残っていない住宅地の一角に小さなお地蔵様が置かれているのを見て、一人車内で泣きながら走ったことを思い出します。
大船渡市の海岸線でも標高が高く津波被害を免れた国道沿いのローソンで普通に売られていたおにぎりの味が忘れられません。
今でもテレビで流れる津波の映像は見ることが出来ませんが、日常と非日常が隣り合わせの被災地の風景は、いつまたどこで起きるかもしれないことを忘れないようにしていきたいと思います。
コメント頂きありがとうございます。

スバル
2026/03/12 07:35

私が居た宮古市は気が遠くなるような状況でしたが、かなりの速さで片付いていったように思います。
それも様々な御支援のお陰だと思います。
有難う御座います。

テレマーカー
2026/03/11 19:41

十六夜さん、こんばんは。
コメント失礼致します。

素早い行動力、尊敬致します。
ジムニーさんも南三陸で活躍出来て喜んでいたのではないでしょうか🚗

私自身は岩手に6年間住んでいた事があり地元の方々に当時のお話をお聞きして泣くばかりでした。海沿いにも足を運びましたが本当にあんな事があったのかと思うくらい工事が進んでいて日本って、日本人って凄いなと改めて思いました。奇跡の一本松を見てまた涙を流した私でしたが、あんな風に強く立っていられるように生きなければとも思わされましたね。

今日という日は昨日亡くなった誰かが生きたかった明日。日々全ての事に感謝ですね✨


十六夜
2026/03/11 20:53

こんばんは♪
コメント頂きありがとうございます😊
私が被災地を訪れたのは発災の3週間後でした。消防、警察、自衛隊、米軍海兵隊の尽力で行方不明者の搜索、主要道路の啓開も進み、外部の人間がある程度現地に入れるタイミングでした。
現地の方々と色々お話ししましたが、腫れ物のように扱うのではなく多くの人に来て欲しい、現地を見てほしい、現地で食べて買い物してくれることが復興につながるからと言われました。
いまも、かもめの玉子を毎年買い求めています♪☺️