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旅行部

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2024/06/06 10:50

幕末動乱の京都 下京区を歩く♪【その1】

まいまい京都のツアーに参加してきました♪
【新選組】幕末研究者・木村先生と巡る、新選組の絶頂期
~内部抗争勃発!幻の屯所、涙の油小路事件、激闘の新選組史~
https://www.maimai-kyoto.jp/event/ky24b3130/
この日の集合場所は「JR京都駅中央改札口」です。

まいまい京都のガイドさんとTVでもおなじみの幕末維新ミュージアム・霊山歴史館学芸課長、木村武仁さんが説明ガイドをしてくれます。

 

■新選組の西本願寺屯所、不動村(西九条村)屯所
●それぞれの場所に屯所が置かれた期間
新選組結成の地・壬生(八木邸と前川邸) 約2年間
第二の屯所・西本願寺(北集会所と太鼓楼)約2年3ヶ月
第三の屯所・不動堂村(西九条村)    半年足らず

●「不動堂村屯所」の使用は半年足らずで、「幻の屯所」と呼ばれている
 この屯所のことは、西村兼文の「新撰組始末記(壬生浪士始末記)(明治22年に執筆)、子母沢寛の「新選組始末記」(昭和3年)や「新選組遺聞」(昭和4年)に書かれている。
 しかし、いずれも歴史研究書ではなく、信憑性が低いとされている。

 新選組隊士・宮川信吉の手紙に「七条通り下ル」、二番組頭・永倉新八の手記(浪士文久報国記事)に「七条堀川下ル」とあり、こちらは信憑性が高い。

 日野市立新選組のふるさと館元館長・藤井和夫氏が2019年4月に新説を発表したが、それは新選組が西本願寺から屯所を移した場所は「不動堂村ではなく、西九条古御旅町」だという説だった。
 この発表がきっかけで、「不動堂村屯所跡地」の研究が一気に加速し、少し前までは「不動堂村屯所跡地」の候補地が5ヶ所あった。
 以下①②③④⑤

 

■①ハトヤ瑞鳳閣 「新選組 洛中最後の屋敷跡碑」(2009年10月にに建立)

オムロン京都センタービルの建設工事で、幕末期と思われる「溝」が見つかる。
 これを新選組不動堂村屯所の「堀」と推測して石碑が建てられた。
●明王院不動堂(西山浄土宗の不動堂)

■②不動堂町屯所【現・資生堂京都ビル付近、下京区堀川通七条下ル北不動堂町480】
 西村兼文の「新撰組始末記」(明治22年)による。
「不動堂村」は幕末には「不動堂町」になっていたので、幕末には「不動堂村」はなかった。

 

■③新説:下京区志水(しみず)町・上夷(かみえびす)町【現・タキイ種苗(株)付近】
 2019年6月に発表された中村武生氏の新説で、雑色「五十嵐氏記録」によるもの。

 

■④新説:西九条村古御旅町屯所【現・元京都市立梅逕中学校】
 2019年4月、日野市立新選組のふるさと歴史館元館長・藤井和夫氏が発表した新説。
 1.西本願寺の資料に「西九条村へ転居」とある。
 2.「風説記」(西本願寺から出た資料だが筆者は不明、個人蔵)に「西九条村に西本願寺の抱屋鋪である古御旅通の屋敷」があったと記されていたのを発見された。
 3.慶応4年(1868)改正の地図「改正京町御絵図細見大成」に「新撰組西九条村古御旅町屋敷」が描かれているのを発見された。
 場所は、現在「元京都市立梅逕中学校」【2007年に廃校】である。
 しかしこの後、藤井和夫氏は西本願寺の新資料「諸日記慶応三丁卯年三月」を発見され、2019年9月に、この説を撤回された。

この資料に「(西本願寺は慶応3年3月)新撰組屯所の移転先として西九条村内に南北六十二間(約113メートル)、東西四十間(約73メートル)余(8200㎡以上)を買い入れ」、場所は「字松明田」(西九条村小字松明の水田で、現在の下京区松明町)だと書かれていた。
 下京区松明町とは、現在、「リーガロイヤルホテル京都」が建っている場所である。
 リーガロイヤルホテル京都の場所は幕末には「不動堂村」ではなく「西九条村」だったので「西九条村屯所と呼ぶべき」と提唱されている。

 

 

■⑤リーガロイヤルホテル京都「不動堂村屯所跡碑」
(2003年6月15日に建立 現、京都市下京区松明町)
 歴史家の寺井万次郎が老人になっていた書肆(しょし)商・菊屋峰吉から聞き取った場所である。

 「事あらば われも京都の 村人と なりてやすめん 皇(すめら)御心(みこころ)」は近藤勇の和歌である。

慶応3年(1867)6月15日、新選組は屯所を西本願寺からここ「西九条村松明町」に移した。
 歴史研究家・新出高久氏が発見…明治17年の『下京区地籍図』に一目で屋敷構えの濠と見受けられる水路を、現在の京都リーガロイヤルホテルの敷地(京都市下京区松明町の西半分にあたる)に発見された。

この建碑は翌年から大河ドラマ「新選組!」が始まるタイミングで行われ、新聞報道もされました。

木村先生の父親の木村幸比古氏が霊山歴史館に就職された1975年頃、霊山歴史館の所蔵資料充実のため、昭和初期の京都市教育会の幕末史蹟建碑に関わった寺井万次郎氏を自動車にのせて市内各所を撮影して回った際に、直接寺井氏から聞いたエピソードがもとになっています。寺井氏が晩年の菊屋峰吉を実際に連れ歩いて、幕末遺蹟の場所を特定していく中で、現リーガロイヤルホテル敷地を指さして新選組屯所跡と証言したといいます。

今ではここが新選組の幻の屯所はここだったと確定しています。

その2に続きます。

■木村武仁先生がTVに出演されます!
●かんさい情報ネットten. 「若一調査隊」
関西テレビ 6月12日(水)夕方4:45~(5:20頃)

●京都浪漫 悠久の物語「新撰組の実像」
KBS京都 7月7日(日)夜9:00 【再放送】7月21日(日)夜9:00
BS11 7月8日(月)夜8:00

撮影機材
キヤノンEOS R6 MarkⅡ
EF16-35mm F4L IS USM
マウントアダプター EF-EOS R

最後までご覧いただき有難うございました!
 

関連情報URL : https://www.maimai-kyoto.jp/event/ky24b3130/

 

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