京都・伏見をあるく その1~寺田屋
京都・伏見に幕末の史跡めぐりにいってきました♪
午後からまいまい京都で伏見をめぐるので、その前に伏見の「船宿・寺田屋」を見学してみようと思いました。
京阪電車・中書島駅から歩きます。
2. 長建寺を経て川沿いを歩きます。先日ブラタモリでもやってましたが伏見は東海道54番目の宿場町で船宿もたくさんあったそうです。酒造りで有名です。写真に載ってるのは十石舟。
3. このあたりはロケ地でも有名です。月桂冠大倉記念館などもあります。川沿いを歩いていくと目的地の「寺田屋」に到着です。
4. ご存知でない方のために説明しておくと「寺田屋は伏見の船宿。文久2(1862)年4月23日、薩摩藩急進派有馬新七(1825~62)以下35名が関白九条尚忠(1798~1871)と京都所司代の殺害を計画して集結した。薩摩藩は藩士を鎮圧に向かわせたが両者乱闘となり、有馬以下9名が死亡した(寺田屋騒動)。慶応2(1866)年正月21日坂本龍馬(1835~67)も伏見奉行所の捕方に襲われたが、難を逃れた。寺田屋は鳥羽伏見の戦(1868年)に罹災し、焼失した。現在の建物はその後再建されたものである。」だそうです。
5. 坂本龍馬ファンにとっては聖地みたいなところです。
6. 寺田屋には何度となく訪れていますが、中に入るのは学生時代以来のことです。
7. 中に入ると坂本龍馬の像や肖像画だらけです。
8. パネルとかポスターとかも売っています。若い頃欲しかったんですよね…。
9. 2階に上がると龍馬が泊まっていた部屋があります。
10. 壁には額だらけです。
11. 右下の写真が龍馬の部屋です。
12. この部屋で龍馬が幕府の役人と戦ったわけです。
13. けっこう部屋数があってここは今でも泊まれるそうです。
14. 右上の写真が龍馬が逃げた材木小屋の当時のもの。今日は午後からここへの道をたどります。
15. 当時の弾痕が柱に残っています。
16. 龍馬の部屋を出てすぐ階段があります。柱に刀傷なんかもあってものものしいです。
17. 左下の写真が龍馬の妻のおりょうさんが裸で幕吏が来たことを伝えに登ってきた階段です。
18. 右上は当時の五右衛門風呂を再現してあります。
19. 寺田屋は戊辰戦争で焼けたと言われてますが、天保年間の大黒柱は残っています。最新の研究では全焼ではなかったと言われています。
20. 寺田屋を後にして、ブラタモリにとりあげられていた「総本家駿河屋」にも訪れました。ここは室町時代からのお店なので、きっと龍馬も訪れたことでしょう。
21. 番組でタモリさんが食べていたピンク色の煉羊羹をいただきました。江戸時代から変わらぬ味で美味しかったです。
22. 鳥羽伏見の戦いの石碑や伏見長州藩邸跡を訪れて、午後からのツアーの集合知の中書島駅に向かいました。
ということでブログは続きます…。
最後までご覧いただき有難うございました!🌝
関連情報URL : https://ja.kyoto.travel/tourism/single01.php?category_id=8&tourism_id=940
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投稿を表示こんばんは〜
史実に残る場所は当時の有様を覚えているでしょうか⁉︎
色々、想像しちゃいます
^_^
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投稿を表示私も伏見港公園の催しを覗いたので何処かでニアミスしたかもしれません。
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