がー
2025/06/06 07:31
建仁寺
米不足云々の最近の騒動で思い出したのは大潟村と栄西でした。建保の飢饉(1215年)のときの話。栄西は飢えた人々に仏像につかう銅を分け与え食べ物を買えるように無心します。その批判に対して『この行為によってたとえ地獄に墜ちようとも衆生の飢えを救わねばならぬ』と答えたという逸話。
栄西は社会の教科書で鎌倉時代に禅宗が入ってきて曹洞宗の道元と臨済宗の栄西の記載があり、その後のテストで穴埋め問題であったなくらいは覚えておられる方も多いと思います。
栄西が建立したお寺は建仁寺といい、京都の祇園にあります。セットで覚える道元は栄西の孫弟子にあたり逸話も元々道元の見聞の書物にあったらしい。
このほか、栄西は茶の木の種を持ち帰り日本に広めた人でもあります。その後中国からは門外不出でイギリスが戦争のドサクサで持ち出すまでは広まらない訳でお茶で食べている人は栄西詣すべきですね😄
栄西は広く教えを広めたらんとしていたようで説得力をもたせるためにも服装や歯磨きなど身だしなみを整える重要性も説いています。ボロボロの法衣や歯で浮浪者と見分けがつかないと民衆も話を聞いてもらえないと。その後の禅宗の寺の豪華なイメージそのものな永平寺の天井画の瀟洒な装飾も大衆が興味も持ってもらえないという栄西の考えの影響なんだなと腑に落ちます。
冒頭の写真はそんな以前行った永平寺の天井画。
フェスに関西連れてけと嫁がいうのでこの話をして帰りに建仁寺に行こうと言ったらすごくめんどくさそうな顔をしていました。
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