今朝、母が亡くなりました。
75歳でした。
7月にステージ1の直腸がんの手術を受けてストマになっていました。
6年前に1型糖尿病に罹患して以来、体重は31キロ台から増えずでやっと日々の生活をこなしている状態でした。料理が好きでしたので全て自分でこなしていました。
月日を重ねるごとに歩行も困難になり、要支援2と言う状態ではありました。
そんな中、今年6月に直腸がんが見つかり、本人は「もういいから…」と手術は望んでいませんでしたが、医師からの『今取らないとこの先もっと辛くなる』との説得で手術する覚悟を決めてからは「ストマになると普通の服は着られないから…」とスカートを縫ったり術後の生活の準備もしていました。
私自身もそんな低体重で体力もない患者に手術大丈夫なの⁉️と思いながらも、手術すら出来なかった夫の事を踏まえて、「手術が出来るのは見込みがあるからだよ」と前向きに捉えて励ましました。
しかし術後の経過は最初から良くなく、腸閉塞を併発し、改善してから一度退院はしたものの要介護4の寝たきりでの帰宅となっていました。
退院から1週間ほどだった時に体調急変で再入院。
それから数日後、ちょうどAyakoさんhanaさんとスバロード三重を走っている最中、丹生大師を出発直前に父からLINEが入り「あまり良くないから意識がある時に(良い日と悪い日がある)会いに来れたら良いね」と連絡が入ったのです。
もしあの辺りから私がちょっと上の空な時があったなら、ごめんなさい🙏
その後腸閉塞再発、腸が破れて体全体に菌が周り、肺炎も併発し、それから数日後に私が会えた頃には昏睡状態でした。
手術から亡くなるまで、ただただ苦しんだ2ヶ月余りでした。
手術していなければそのうちに癌が悪化して、医師が言うように「もっと辛く」なったのかも知れません。
しかし手術をしていなければ、あと何ヶ月か何年かわかりませんが今まで通り、杖をつきながら、老人カートを押しながら1人でセブンイレブンまで買い物に行ったり、料理したり、お裁縫したり、私とハガキのやり取りをしたり…
まだそんな生活が続けられていたと思うと母が不憫で無念です。
自分の勝手な感情としては、「あの時こんなことあったね❣️」と語り合える相手が居なくなってしまった事が1番辛いです。
昨年帰省した際にはクロストレックに乗せてピクニックできました。
アウトバックが納車になってからは母を乗せてスーパー行ったり、コメダ珈琲行ったり…
すみません、長文になってしまいました。
やり場のない気持ちをどこかに綴りたくの投稿お許しください🙏
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投稿を表示謹んでお悔やみ申し上げます。私の父はS状結腸癌で72歳で亡くなりましたが、腸閉塞の辛さは耐え難いとの事でオペを承諾しました。もう40年近い昔の話で妥当な処置であったか分かりませんが、多分痛み止めもモルヒネ位しかなかったのかもしれませんね。それでもあまり苦しまずに72歳で他界しました。貴女の辛いお気持ちは察して余りあります。
亡妻は食道癌なので最後の3か月は固形物が食べられずにやせ細って無惨でしたが、アイスクリームと焼酎を好んでいました。合成麻薬のオピオイド系フェンタニールのパッチ薬を胸に張り、段々大きくして最後は最大容量でした。訪問診療、訪問看護、訪問介護の全てを他人を家に入れたくない、緩和病棟も嫌だと言い出し、愛妻の最後の願いと、慣れぬながらも食事、排泄、投薬全て一人でやりました。家庭を顧みず遊びまくった私に不満があるのは承知ですが、そんな私に、ここまでやってくれるの、パパと一緒になって良かったと、労いの言葉を残して79歳で他界しました。思い返すと涙が出ます。亡妻が好きだった「ルビーの指輪」を歌うと泣けてしまいます。
寿命が伸びたというものの70過ぎれば何があっても不思議ではありません。不遜を絵に描いたような私でも70年以上も生かしてもらって、そこはかとなく感謝の気持ちが沸き上がります。きっと、お母様もそうだったと思います。
かく言う私もS210の納車が迫る喜びも束の間、酷い眩暈に襲われてまっすぐ歩けません。多分耳石のいたずらと思いますが、これから生じる不調が何であれ覚悟を決めて一日一日を感謝して送りたいです。ただ、こんな余命幾ばくも無い爺さんを慕ってくれる妻との日々を、残り少ない砂時計の砂が煌めくような日々にして思い出にしてあげたいと願っています。
くまこさんは、スバ学入学したばかりの私に真っ先にコメント送って下さり、大ファンです。三姉妹の旅行記最高です。ある人が言いました、幸せは探してもなかなか見つからない、幸せは人が運んできてくれる。そんな言葉を立証するがごとくの三姉妹ですね。気を落とさず楽しい投稿見せてくださいね。どんな偉人も、どんな高貴な方も最期を迎えます、悲しみと共に完結された故人の人生にリスペクトしましょう。70数年の人生には語りつくせぬドラマがあったはずですね。 合掌
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投稿を表示くまこさん
お悔やみ申し上げます。
お母様の事を伺うと19年前に他界した父を思い出します。
私の父は、37歳の時に腎臓病を患い、週3日病院に行って人工透析してました。いつも午後4時ごろに病院に行って、帰ってくるのが、午後10時〜11時だったと思います。
自宅に帰ると、私達子供が喜ぶと思ってよくモスバーガーのハンバーガーを買ってきてくれました。
今でも、あのハンバーガーを思い出します。
段々歳を取るにつれ、身体のあちこちが痛むらしく辛いので、手術して治療して元気になりたいと思って八事日赤病院へ入院して手術を受けました。手術は、成功しましたが、術後急変し呆気なく亡くなった。心にポカンと穴が空いた気がしました。手術しなければ、こんな事にはならなかったとも思ってました。
でも人工透析で約30年も、生きてこられたことに感謝しなくてはいけないですね。
手術しなければ、長生き出来ていたかも?と思ってしまいますよね。
でも手術しなくても、苦しむなら、最善の治療をするのは、正解だと思いますよ。
お母様は、病気と向き合って最善と思える選択をしたと思いますよ。
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投稿を表示くまこさん、大変でしたね。
心よりお悔やみ申し上げます。
75歳はまだお若いですよね。
私の父も今年75歳になります。
去年偶然無症状ですい臓がんが
見つかり手術。
今は元気になりましたが
2か月入院していたので
体力が落ち
どうなることかと思いました。
母は60代ですが
両親が元気なうちに
一緒に過ごす時間を大切にしたいなと
思う日々です。
後悔の念もあるかもしれませんが
これから明るい気持ちで
過ごしてくれることを
お母様も願っていると思います。
忙しい日々が続くと思いますが
どうか無理なさらず
ご自愛下さいね。
お母様のご冥福をお祈りいたします。
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投稿を表示お母様のご冥福をお祈りします。
私の父は69で大腸癌、肝臓に転移して亡くなりました。
自分はスバル1000から車を始めた父と子供の頃からスバルの話をしたりドライブに連れて行ってもらった事等を思い出しながら病室についてました。
手術する直前に熱が出て、かえって命を縮めると言われ、苦しまない方法をお願いしました。
段々に呼吸が弱くなり、亡くなった時は心でお疲れ様って語りかけました。
学校が夏休みに入ったから休暇をとって夜は母と交代してついていたから見送りまで準備が出来た感じでした。
親戚にはもっと大きな病院に移したほうが良いと言われましたけど、これで良いだろうと母、妹と決めて眠るようにいったから良いかなと。
大変かと思いますが、休みながらお過ごしくださいませ。
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投稿を表示お母様のご冥福をお祈りいたします。お母様、最後まで一生懸命生きましたね。
料理に裁縫、きっと生活をとても大事にされてきた方なのだと思います。その影響がくまこさんからも感じます☺️
お手紙のやり取りができる親子関係がとても素敵です。
くまこさんも今は気持ちが落ち着かないと思います。少し休んで下さいね。
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投稿を表示突然の辛い事でただただ
どう言葉をおかけしたら良いかわかりません。
お母様のご冥福をお祈りするばかりです。
私の妻は年上で現在76歳ですが
50歳の時に健康診断で子宮頚がんと大腸癌が見つかり、12時間の手術になり
癌は初期だったので何とか助かりましたが今も二ヶ月おきに通院してます。
今は体力がなくなってますが
元気な内に出来るだけ
旅行や好きな事をするようにしてます。
昨年は実母が96歳で亡くなり
大往生でしたが、もっともっと話しをしたかったと後悔してます。
私も72歳でスバルのクロストレックを
購入、出来だけ妻を誘って
旅行をしたいと思ってます。
人生限りある時間
お母様の分まで
元気で人生を楽しんで下さい。
お母様も天国で喜ばれると思いますよ^ - ^
それが一番の親孝行だと思います。
長々と長文ですみません。
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投稿を表示くまこさん
ご母堂様のご冥福をお祈りいたします。
私の母は脳梗塞術後の経過が思わしくなく、要介護5で介護病棟に入院しています。
面会時間が平日の13~16時半の規則で、勤務先を夕方抜けて週一での面会が精いっぱいで、行けばベッド脇で話しかけています。
まぁ、こちらからの一方的な近況や世間話程度ですが…。
もう3年近くになりますので、私のアウトバックにも乗せてあげられていません。
気が張っているときは良いのですが、少し落ち着くとグッと疲れが出ることもあるかと思います。
そんな時は、どうぞご自愛ください。
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投稿を表示くまこさん
心よりお悔やみ申し上げます。
何とお声をかけてよいか
分かりません。
75歳は早いです。
私の父と同じ歳です。
私の両親は健在でしっかりしてるので
くまこさんや皆さんの
大変な出来事を
これから来るであろうこととして
自分ごととして
気持ちに留めていこうと思いました。
埼玉のスバリストさんの仰る様に
私も
くまこさんは
その時最善の行いを果たしたのだ
と思って欲しいと切に願います。
どのような判断が正しかったかは
誰にも分かりません。
くまこさんが
ゆっくりと少しずつ
前を向いていけます様に😌
悔やむばかりではなく
些細な愉しかった思い出
会話を大切に胸に抱いて
日々を過ごしてくださいね🍀
お母さまのご冥福をお祈り致します。
今はくまこさんの身体を
休めてください。
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投稿を表示お母様のご冥福をお祈り申し上げます。
僕は4年前に母、3年前に父を亡くしました。
両親に対してもっと何か出来てたんじゃないかと思うことはあります。ただ、もう何を言っても叶うことはないので、前を向いて進む、後ろは振り返らないことにして今を生きてます。
行き当たりばったりな生活で親に顔向けできないですが、毎日仏壇に手を合わせるだけの僕のような人間もいます。
くまこさんが思い悩み苦しむようなことはお母様も望んでおられないと思うので、適度に休息しながらゆっくりご自愛くださいね
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投稿を表示あまりに急なことで、そして年齢のことを考えると、どれほどのお気持ちかと胸が痛みます。どのような言葉をかけたら良いのか分かりません。
私の母はC型肝炎から肝細胞癌となり、最後は状態的にラジオ波による焼灼術が受けられず、塞栓術という血管を塞いで癌細胞に血液が回らないようにして兵糧攻めにするという治療法を勧められ受けました。そして、その5ヶ月後に旅立ちました。2016年の事でしたが、暫くは色々と考えてしまいました。でも当時の決断がその時の最善の選択だと思いお願いしたのだと考える事にして、今では振り返らないようになりました。
まだ気持ちの整理が難しく辛いと思いますが、どうか少しでもお体も休めてください。
お母様のご冥福をお祈りいたします。