幕末動乱の京都 下京区を歩く♪【その3】
幕末動乱の京都 下京区を歩く♪【その1】
幕末動乱の京都 下京区を歩く♪【その2】
の続きです。
まいまい京都のツアーに参加してきました♪
【新選組】幕末研究者・木村先生と巡る、新選組の絶頂期
~内部抗争勃発!幻の屯所、涙の油小路事件、激闘の新選組史~
https://www.maimai-kyoto.jp/event/ky24b3130/
旅は続きます。
ここからは幕末に起きたチャンバラ事件の跡を巡ります。
最初の場所は司馬遼太郎先生の「幕末」の「花屋町の襲撃」に描かれた「天満屋騒動跡」を訪ねます。
●中井正五郎(庄五郎)遭難の地碑
天満屋事件(てんまやじけん)は、海援隊士・陸援隊士らが坂本龍馬暗殺の敵討ちに京都油小路の旅籠・天満屋を襲撃して、紀州藩士三浦休太郎を襲い、新選組と戦った事件です。
この事件で、襲撃側は居合の達人中井庄五郎(21歳)が死亡、2、3名が負傷しました。一方の新選組は宮川信吉と舟津釜太郎が死亡、重傷1名、負傷者3名を出し、紀州藩では三浦が傷を負い、三宅精一、関甚之助も軽傷を負いました。
天満屋跡には中井庄五郎遭難の地碑が建てられています。
●「北小路の変」跡
天満屋騒動の時、応援部隊が同士討ちをした場所。
天満屋襲撃の報を聞きつけ、不動堂村の屯所から新撰組の応援部隊が駆けつけました。同じく西本願寺からも紀州藩の応援部隊が駆けつけましたが、お互い敵と勘違いし、油小路北小路で斬り合いになってしまいました。
この付近は本願寺の仏具のお店ばかりです。
●「油小路の変」跡(七条油小路)
これも司馬遼太郎先生の新選組血風録に小説があります。

慶応3年11月18日、本光寺の南で御陵衛士頭のの伊東甲子太郎が暗殺された。
七条油小路は、伊東の遺体が放置され、御陵衛士と新選組の壮絶な斬り合いが行われた場所である。
油小路通は平安京の町作りの時に生まれた通りだが、命名の由来は定かでなく、特に油屋が多かったわけでもなさそう。その油小路通に油屋さんが1軒あります。JR京都駅からすぐの油小路通に創業が江戸時代末で160年続いている西田商店。玄関上の街灯風の油屋の看板も明治、大正時代をほうふつとさせるようなレトロ調です。
新選組側は永倉新八や原田左之助らで、その数は35~36人だったという(「鳥取藩慶応丁卯(ていぼう)筆記」)。
しかし新選組の出納録(会計簿)によると、出動隊士の数は17名だったようである(「新選組金銀出入帳」)。
それに対して御陵衛士は、月心院に居合わせた三木三郎、服部武雄、加納鷲雄、毛内有之助、藤堂平助、富山弥兵衛、篠原泰之進のたった7名だった。(篠原泰之進「秦林親(はたしげちか)日記」)。
藤堂平助はいつも真っ先に斬りかかったことから「魁先生」と呼ばれていた。
藤堂平助は三浦常次郎に斬られた。
あと御陵衛士側は、毛内有之助、服部武雄が惨殺された。
●本光寺
御陵衛士頭・伊東甲子太郎が門前で絶命した。
「南無妙法蓮華経」の題目岩は当時は門外に建っていた。
●伊東甲子太郎(新選組参謀、文学師範、御陵衛士頭)

●なぜ伊東甲子太郎は近藤勇の妾宅に行ったのか?
本光寺内に上がらせていただき伊東甲子太郎のご位牌を仰ぎ合掌礼拝します。そのあと木村先生にご説明をいただきました。
同志・加納道之助(鷲雄)の回想…「もし新選組に陥れられることがあろうとも、招きに応じないのは卑怯である。なおかつ、世間において我々は新選組と同視されてしまっていることが遺憾に堪えない。私がもし新選組に殺害されれば、御陵衛士が勤王の士であると認められるであろう」と語った(史談会速記録)。
●伊東甲子太郎 三十二カ条の建白書(大政奉還後に朝廷へ提出した)
薩摩藩士・吉井幸輔(友実)は、「建白の内容は、一々もっとも至極と高く評価している。
特に斬新なのが「公卿政権論」である。
公卿が五畿内(大和国、山城国、摂津国、河内国、和泉国)を直轄して全国の大名を掌握し、その直轄領の税金で陸海軍や御親兵を創設しようとした。
その軍事力を公卿に任せようとした。
これらを穏便に、「衆議」による挙国一致でおこなおうとした。
また「大開国、大強国」(積極的な開国)や「国民皆兵」(徴兵令)を主張した。
明治維新後に生きていればそれ以降の世の中も大きく変わったかも知れない偉人である。
ここでツアーは終わり京都駅で解散。また秋にツアーがあるので楽しみです。

私はここから1人で番外編として油小路の変で亡くなった御陵衛士のお墓参りに向かいます。
●泉涌寺(せんにゅうじ)
泉涌寺は、京都市東山区泉涌寺山内町。JR東福寺駅から徒歩15分で泉涌寺に到着です。
天皇家からも篤く信仰された御寺. 真言宗泉涌寺派の総本山。皇室との関連が深く『御寺(みてら)』とも呼ばれる。その塔頭寺院の一つに戒光寺があります。
●戒光寺(かいこうじ)
御身代わり丈六釈迦如来をご本尊とする戒光寺は、皇室の菩提所である真言宗泉涌寺派総本山御寺泉涌寺の塔頭です。
御陵衛士のお墓は戒光寺が管理しています。
本堂の右側、写真の中央あたりに御陵衛士のご位牌があります。御本尊とご位牌に合掌しました。
事前に予約してあった御陵衛士のお墓の参拝許可証とお墓の鍵を預かりました。
以前、大河ドラマの後あたりから新選組ファンがお墓で乱暴狼藉やマナーの悪いことをしたため一般墓参は中止していたそうです。今は誓約書にサインをすることで参拝が許されるようになっています。
●御陵衛士の墓所
中は撮影禁止です。
鍵を開けて中に入り、本日殺害場所を巡った御陵衛士達の墓に手を合わせました。
●御陵衛士の墓所
中は撮影禁止です。
鍵を開けて中に入り、本日殺害場所を巡った御陵衛士達の墓に手を合わせました。

今回メインの伊東甲子太郎率いる御陵衛士の史跡を巡ることができて、満足しました。最近はオンラインゲームで伊東甲子太郎が英雄視されているらしく、また幕末の英雄として人気が出てくるかもしれません。
この日は約11.5km 約15700歩も歩いたので足が棒になりました。疲れました。
■木村武仁先生がTVに出演されます!
●かんさい情報ネットten. 「若一調査隊」
関西テレビ 6月12日(水)夕方4:45~(5:20頃)
●京都浪漫 悠久の物語「新撰組の実像」
KBS京都 7月7日(日)夜9:00 【再放送】7月21日(日)夜9:00
BS11 7月8日(月)夜8:00
撮影機材
キヤノンEOS R6 MarkⅡ
EF16-35mm F4L IS USM
マウントアダプター EF-EOS R
最後までご覧いただき有難うございました!
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投稿を表示京都市内は、幕末の史跡があっちこっちにありますよね。石碑のみの場所や、当時のまま建物も残ってる場所もあり、祇園付近や先斗町の細い路地を歩くといつもこんな所で新撰組に出くわすと逃げれんなぁって思います😅
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投稿を表示司馬遼太郎ファンがスバ学に結構いらっしゃって嬉しい😄
先日国盗り物語を読み返してたところでした👀
いや〜羨ましい幕末にタイムスリップしそうな行程ですね〜
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投稿を表示とても興味深い投稿です😆
私も、幕末、新選組、とても大好きで、いつか行ってみたいです🎵
司馬遼太郎も全て読破しました📚
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投稿を表示幕末好きとしては垂涎もの、なんて魅力的なツアーなんでしょう😍
伊東甲子太郎、大河ドラマ「新撰組」では谷原章介さんが演じていらっしゃいました。
涼やかながら、少し鼻につくインテリ浪士をうまく演じていらっしゃいましたね。