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2024/02/22 12:52

薩摩の雄・島津義弘「関ヶ原」

 

「島津の退き口(のきぐち)」

捨て奸(がまり)戦法。島津の家臣が命を張って主君の島津義弘の脱出劇を支えた。西軍が敗走し退却する中、最後に取り残された島津隊は東軍に包囲されても正面突破し追いかけて来る東軍騎馬隊を鉄砲隊の巧みな狙撃ちで食い止めその間に主君を逃す離れ技。

戦国武将「薩摩の雄・島津義弘」が家臣と築いた絆、今でも多くの方々が義弘を慕って訪れる陣跡。

島津義弘陣跡
島津塚の入口
島津豊久公の墓
春を告げている梅の花が家臣の様だ

島津豊久は烏頭坂の殿(しんがり)戦でその名が知れ渡り戦いで負傷して足手まといになる為自刃、主君の伯父義弘を助けて島津家の存続の為に享年31歳の生涯を閉じた。

島津義弘の1500名いた家臣は80名程になり薩摩に帰還、それでも関ヶ原合戦を戦った武将で徳川家康公や誰よりも長寿享年85歳の生涯だった。

 

(※ 余談その1)

S製作所の創始者・島津源蔵さんの祖先の井上惣兵衛尉茂一さんと島津義弘さんとの親交で島津姓と家紋受け継いだ。

(※ 余談その2)

京都スバル本社・久世橋店を施工されたのはS製作所子会社さんです。

歴史は繋がってますね✨

 

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