私の好きな作家の方は、
「表現は裸になること」だと言います。
最近、映像を撮っていて
それをどう編集していくかを考えていくときに、
自分の人間性や思想が
全部映像に投影されてしまうのでちょっと恐怖だったりします。
最近、ストレングスファインダーをやったことで、
私がものすごく慎重な性格だと分かり、
さらに自分の心を開く人を自分自身で決めてることを知りました。
まあ随分前から自覚はあったし、
「なんで心を開かないの?」と言われることもあるけど、
これが私の性格で、この慎重さがあるから、
自分でいられることが分かりホッとしました。
そんな自分だからだろうか、
おととし大学に提出した卒業研究報告書は
読んだ人の感受性を試すような表現を無意識でやっていたようで、
口頭試問中に人を試すようなもの書いちゃったんだなと
我ながら思ってしまいました(笑)
その後に研究発表会で作ったスライドのような映像は、
自分が研究で何を知ったかを言語化しないまま、
映像の中で幾重にも表現ができたことが、
今の映像制作の原点になってるところはあります。
分かる人には分かるけど、
分からない人には分からない。
別に伝えることだけが全てではなくて、
自分がちゃんと表現したいことを表現したらいい。
あいかわらず人を見て態度をコロコロ変えるし、
自分の心を開くことをほとんどしないけど、
映像ではきちんと裸になろうという気持ちで
背伸びもせず、余計な加工もせず、
ありのままの自分が映り出せばいいと思ってます。
ただし、
ちょっとお毛々の処理をしたりとか(笑)、
ほんのりいい香りのするヘアオイルをつけたりとか、
そういう身だしなみは大事ですよね。
誰かに受け入れてもらいたいなら、
それなりにきれいな体にすることは大事であって、
私の好きな表現者さんたちは
そういうことに長けてる方々ばかりです。
人に受け入れてもらいたいなら、
受け入れてもらえるだけの人間になれよって
私も思いますから。
私自身も誰でも受け入れるつもりはないし。
私自身も誰でも受け入れてもらえるとは思ってもないし。