senchan様の、マイカーのお祓いをするかというお題へのコメントの再返信を書こうとしたのですが、長くなりそうだったのでこちらにポストしました😅
senchan様への返信にも書いた通り、今までのマイカーを神社でお祓いしたことはありません😅
神様の御力というよりはドライバーの普段の安全意識が肝心だと思っているからではありますが、神様は信じてます♪
ただ、この「神様」は耶蘇教とか回教とか神道といった宗教でいうところの神様とは微妙に違ってまして…😅
運転をしていれば誰でも経験があると思いますが、いつもの道を走っていて、なぜかそのときだけ不思議とスピードを落としていると急な飛び出しに遭ってヒヤリとしたことはないでしょうか?
もしいつものペースで走っていたら確実にぶつかっていたであろうタイミング。
なぜかそのときは虫の知らせなのか第六感なのか神様仏様の御加護なのか、たまたまゆっくり走っていて助かった!
みたいな経験をされている方は多いかと思います。
そんなとき、私は無意識に「神様ありがとうございます!」と叫んでしまいます🤣
ここで言う「神様」とは、厳密には一般的な神ではなく、なんと言いますか「不思議なちから」とでも言えばいいのか、人智を超えた不思議な「なにか」に守られたと、その「なにか」に感謝する気持ちの発露として便宜的に「神様ありがとうございます!」と言っているのだと自分では解釈してます。
この「なにか」とは、ちょっと面倒くさく説明すると(笑)、昔の中国の古い書籍に「大学」というのがありまして、その中の一節に「大学之道、在明明徳、在親民、在止於至善」というものがあります。現代語に訳すなら「大学の道は明徳を明らかにするに在り、民に親しむに在り、至善にとどまるに在り」という言葉で、この中の「明徳」とは自分を肉体をはじめとした目に見える世界や意識できるものを指し、大雑把に言うと自然万物の物理的法則を言います。
この「明徳」に対して「玄徳」というものがあり、こちらは目に見えない無意識の世界や未知の法則のことを指します。
玄徳を単純に説明するには氷山を想像すると分かりやすいです。
「氷山の一角」と言われるように、海面上に見える氷山はわずかでも、水面下にはとてつもない大きさの氷の塊が存在しています。
この水面上に見える氷が「明徳」、水面下に隠れている大きな部分が「玄徳」。
目に見えるわずかな「明徳」は、膨大な大きさの「玄徳」に支えられている。
この「玄徳」が私にとっての「神様のようななにか」なのです。
自分がいまこの世にいる。
その肉体、魂がいまこの世に存在できているのは両親、その両親、そのまたそれぞれの両親と、ご先祖様を30代遡ると10億人の生命の繋がりの上にいま自分がいるわけです。自分という「明徳」のもとに10億人の「玄徳」があるのです。
このうち1人でも欠けていれば私と言う命は無かったわけで、これはもうご先祖様に感謝しかないわけで、そんな大きな命の繋がり、縁(えにし)が私にとっての「なにか大きな不思議なちから、大きなえにし」、もう「神様」なのだと思っています。
なので、なにか不思議な偶然や救われたことがあると、いつも思わず「神様ありがとうございます!」と言ってしまってるんですね😆
結論!
神社でマイカーのお祓いをするのは全然アリです!
お祓いをする神社の神様も神代古代においてはご自分のご先祖さまと繋がりがあったかもしれませんし、ご先祖さま、神様に守られているまたは見られているという意識を持って安全運転をする意識づけになるならお祓いは良いと思います!
すみません、お酒入ってるとダメですねw
なに言ってるかワケワカメになってきましたのでこのへんで…😅😅