お元気でしょうか? スバぞうです🐘
6月21日、日曜日
本日は父の日でございます
母の日のおまけのような日ですから🤣特別なイベントは何らございません😅
少なくともスバぞう家では…
スバ学のお父さんが感謝されることを祈念しております🎉🎊🎉
日曜日のうんちく読み物ですが、前回までのデザイン、レヴォーグからちょっと趣向を変えまして、クルマではなく飛行機のおはなしをしてみようと思います😍
飛行機、といっても中島飛行機(SUBARUの前身、富士重工業の更に前身)であります🛫
昔(約100年前!)の話なので怪しいところもありますがご容赦を😅
(ちょっとおカタいおはなしになります)
スバ学祭で群馬県太田市に来られた方はSUBARUのルーツが中島飛行機だという事をご存じかと思います
特別公開された本館の来賓室は90年以上前に建てられたのものでした

そんな中島飛行機ですが、機体は群馬県の太田・大泉で製造していましたが、エンジンは遥か離れた東京で作っていました😲
富士重工時代のSUBARU車もレオーネまではエンジンを三鷹で作り、トラックに載せて群馬まで運んでいました🚚🚛🚚
中島飛行機時代の名残ですね(エンジンは東京、機体・車体は群馬)
1989年のレガシィ誕生の際、EJエンジンを太田市に隣接する大泉工場で生産し始めました
(直列3気筒エンジンは1998年のドミンゴ終了まで生産されていました)
なので現在はオール群馬製となっており、三鷹にはエンジン設計の方々が残っています😃
そんな事から「中島飛行機のエンジンは現在の三鷹で作られていた」と思っている方も少なくないと思いますが、実はそれは間違いなのです!
中島飛行機のエンジンは同じ東京の別の場所でつくられていました
それも三鷹の結構近く…
三鷹市にあるSUBARU/STIギャラリーから東北東に約7km、現在のJR中央線西荻窪駅の北側にその工場はありました
中島飛行機東京工場です

1925年(大正14年)、中島知久平は航空エンジンの内製化を目指し荻窪の地に工場を建設しました
中島飛行機がSUBARU群馬製作所北工場の場所に誕生してから8年後、現在の群馬製作所本工場が完成する9年前の事になります
ここで、
「なぜ群馬の飛行機会社が東京にエンジン工場を?」
という疑問が湧きます
理由は諸説ありますが、有力なものとして
1.東京に構えた方が優秀な学生を獲得しやすい(リクルート対策)
2.太田市・地権者との折り合いがつかなかった
3.畑一面だった荻窪からの熱烈な誘致があった
があります
特に1.については、現在のSUBARUにも通じるのではないでしょうか???
なかなかの発想だと思います
(いつの時代も優秀な大学生は都会から離れたくないですからね😝)
イギリスから技師を招聘し、最初は海外エンジンのライセンス生産(コピー)から開始
1930年(昭和5年)には初の国産航空機用エンジン1号機が完成しました🎊
国産飛行機用エンジンは荻窪の地で誕生した訳です😍
日中関係の悪化など戦争の足跡が近づく中、日本軍は航空産業に注目し中島飛行機への注文が急増!
1925年の立ち上げ時には80名だった規模は12年後の1937年には約5,500名にまで急拡大!😲
当時は『空軍』という概念が無かったため、陸軍と海軍がそれぞれ希望の飛行機を要求
『伝統の三菱重工業』と『ベンチャー企業の中島飛行機』を中心に競争が激化!
多くの飛行機を配備したい陸軍は中島飛行機に生産能力増強を半ば強制的に要請しました😵💫
正にイケイケ状態だったんでしょう
中島飛行機は新たな場所を探すこととなりました…
つづく
※参考資料:杉並区 戦後70年事業 区民の戦争戦災証言記録集
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投稿を表示富士重工業さんて戦後は宇都宮では鉄道車輌を作っていたと、航空宇宙カンパニー宇都宮工場の方から聞きました。
航空機から始まり戦後にGHQにより一旦12社に解体、その後5社が再結集して、航空産業、鉄道事業、自動車開発とSUBARUは創立時の魂をずっと受け継いでいる会社なんですね。
本当に素晴らしい。
ある航空宇宙カンパニーの方がSUBARUに社名変更されてもいまだに「富士重工業」の社名を大切にしたいと言っておられたのも受け継いだモノを大切にしたいと言う想いなのでしょうね。