モータースポーツ部

スバぞう
2026/09/26 07:14

【うんちく】ラリーのおはなし1

おはようございます

スバぞうでございます🐘


昨日「今週もスバ学祭情報は無しか…」と思っていたら昼前に突如発表!
それもSUBARU FAN MEETING 2026に名を変えて、大幅グレードア~ップ!(たぶん)
スバぞうの知る、ほのぼのスバ学祭とはかけ離れてしまうのでしょうか😢

続報を待ちましょう


前置きはこのくらいにして、週末連載の『うんちく』シリーズです


ここしばらく、昔のSUBARU車のおはなしを続けてきましたが、今回はいよいよ!ついに!SUBARUとラリーについてお話したいと思います


ラリーについては思い入れのある方も多く、ヘタな事を書くと怒られてしまうので敢えて回避してきましたが😅、封印を解きたいと思います

なので、キビシイ指摘はなさらぬよう、温か~い目でご覧ください(ひたすら低姿勢🙇🏻)


まず、ラリーの話をどこから始めるか?ですが、独断と偏見で富士重工業初期からとします

SUBARUといえばAWD(以前は4WD)ですが、レオーネ4WDが発売される前からモータースポーツの場で活躍していました

スバル360が1964年の第2回日本グランプリ自動車レースでT-Ⅰクラス優勝したのは割と有名です


レースの様子


※ちなみに記念すべき第1回では大本命だったものの、スズキのフロンテに1,2フィニッシュを許す大惨敗でした

当時はレギュレーションもいい加減だったので?ゴニョゴニョしていたかもしれません(根拠のない戯言です😜)

が、翌年から規則が変わり、いわゆるレーシングカーしか参加できなくなり、乗用車しかないスバルは活動の場を失います😢



そのため、スバルは他の多くの乗用車メーカーと同じようにラリー競技に活動の場を求めます
その最高峰は群馬・長野で行われていた"日本アルペンラリー"でした

まだまだ輸入車やライセンス生産車が多かった1962年の第4回大会にスバル450(360の排気量アップ版)が参戦し小排気量ながら48台中5位入賞の快挙😍

4年後の第8回大会(1966年)では発売されたばかりのスバル1000が3位表彰台を獲得🎉
(アイキャッチ画像かと思われます)


そして1974年の第16回大会でついに初代レオーネRXが総合優勝を成し遂げました🎊

これらはすべて2輪駆動車(FF)による成績で、SUBARUが本領を発揮する4WDの初優勝は?と捜すも正確な情報がなく苦戦

どうやら1982年に群馬・長野で行われた全日本ラリーDCCSウインターラリーでレオーネ4WDの加藤選手が総合優勝したのが最初のようです
雪と氷のラリーでしたので4WDに有利だったのでしょう

こちらは1983年DCCSラリー(優勝)


それ以外のラリーでは絶対的なエンジンパワーが不足していたため、4WDは重量増のデメリットに苦戦していたようです

当時はV6エンジンを搭載したZなんかも出ていましたからね😲
かないません😩

Z31ラリー仕様(NISSAN HPより)



また、ラリー活動自体もいわゆるワークス体制ではなく、社員である小関氏によるほぼプライベートチームでした


小関氏は富士重工業の社員でテストドライバー業務の傍ら、創世期のモータースポーツに積極的に参加
1966年のアルペンラリーでスバル1000に乗っていたのは小関氏でした

レオーネ4WD時代に有名だったのはサファリラリーへの挑戦でしたが、これも監督だった小関氏個人の身を削った活動でした

沢山の小口スポンサーをかき集め、ラリーに出場したクルマを現地ケニアで売却する等して資金をやりくりしていたそうです💰

それでも資金は不足し、時には自らの資産を担保に借金するなどラリーの為なら犠牲をいとわない熱い方でした🔥
ご家族は大変だったと思います😖

"小関親分"と呼ばれたその気質・存在は、ヨーロッパ中心のラリー界でも一目置かれ、SUBARU、いやアジアメーカーのラリー界における地位向上に多大な功績を残されました

SUBARUレオーネはエンジンパワーは遥かに劣るものの、4WDによる優れた走安性と抜群の耐久力(壊れにくい)を武器に、アウディやトヨタ・日産といった物量作戦に物を言わせたワークスチームと時には互角以上の勝負を展開しました

グループBとの混走時代、サファリラリーでのレオーネの最高成績は1983年、4WD RXを駆る高岡祥郎/砂原茂男組の総合5位でした

優勝がオペルのアリ・バタネン、2位、3位がアウディ クワトロのミッコラ、ムートンですから凄いです
(すみません、マニアックな話で💦)

こちらは1984年のサファリ(ナビは芸能人の泉アキさん)



しかしながら改造範囲の多いグループBと、SUBARUが参戦していたグループAと戦闘力の差は開く一方で目立った成績が残せなくなります

そんな中、1986年の死亡事故をきっかけに行き過ぎたグループBが廃止、翌1987年からはグループAのみとなりSUBARUにチャンスが訪れます

1987年サファリではゼッケン1で総合5位


そしてレガシィの登場にあわせる形で強力なパートナーを見つけることになります



つづく



スバぞう🐘


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1 件の返信 (新着順)
A2215
2026/09/26 10:42

こんにちは(。・∀・。)
ファンミの開催が発表となり、そわそわが一段落しましたね

スバル450や1000を初めて知りました🚗(完璧に勉強不足でした)
また、小関さんの並々ならぬ努力があって 今のスバルに繋がるんだなーと感動しました!

次回の続編 お待ちしております(^-^)