MT復活の舞台裏を視聴して。
「マニュアルトランスミッションを作れる設備が、まだ残っていた。このまま廃棄してしまっていいのか? ものづくりの人たちは みんな、そう思っている」
この言葉を聞いて、私も深く考えさせられました。
電動化が進めば、確かに不要になっていく設備や技術はあるでしょう。
しかし、ものを加工する技術として、長い年月をかけて磨き上げてきたものを失うことは、単なる設備の廃棄ではなく、技術そのものの衰退につながるのではないでしょうか。
私は今も、ものづくりの現場に身を置く機械設計者です。
そして最近、日本のものづくりの将来に強い不安を感じています。
実際に「ものを作れる人」が、少なくなっているように感じるのです。
旋盤を扱えない。
加工方法がわからない。
どうすれば作れるのか、工夫しようとしない。
難しい形状は、作りやすい形に変更してほしいと求められる。
もちろん、加工しやすい形状を考え、コストを抑えて良いものを作ることは、設計者としても非常に大切なことです。
しかし、本来必要とされる理想の形状があるのなら、それを実現するために知恵を絞り、試行錯誤し、技術を磨いてきたのが、これまでの日本のものづくりだったはずです。
困難な加工に挑み、それを実現する。
そこには技術者としての誇りがあり、その腕で家族を養い、周囲から尊敬される職人たちがいたはずです。
ところが最近、長年仕事をしてきた私でさえ、以前は加工業者から聞くことのなかった質問を受けるようになりました。
「これは、どうやって加工するんですか?」
「公差から外れてしまったのですが、何とか使えるように考えてもらえませんか?」
もちろん、すべての加工現場がそうだとは思いません。
ただ、工業で栄えてきた愛知県でさえ、こうした変化を肌で感じるのです。
このまま技術の継承が途絶えてしまえば、将来、専用のプログラムや工作機械が使えなくなったとき、自分たちの力では何も作れなくなるのではないか。
そんな危機感さえ覚えます。
新しい技術を取り入れることも、効率化を進めることも大切です。
しかし、その一方で、古くから積み重ねてきた技術や経験を、コストだけを理由に切り捨ててよいのでしょうか。
「作れるものを設計する」ことも大切ですが、「作りたいものを、どうすれば実現できるか」と考える力も、決して失ってはいけないと思うのです。
技術とは、設備やプログラムだけではありません。
人が考え、工夫し、失敗を重ねながら身につけてきた知恵そのものです。
日本のものづくりを支えてきた、その大切な財産を、次の世代に残していきたい。
現役の機械設計者として、心からそう思います。
少し、設計者からの視点のみで一方的に書いてすみません。
実際に 設計として訳の分からない公差を入れたり 加工設備の仕組みも分からず 加工出来ない図面を渡してしまっている事もあります。
お互いに切磋琢磨して技術を向上させていきたいです
読み手方様の裁量で私からのエールとして上手く解釈していただけると助かります。
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投稿を表示私は電気の設計者ですが、似たようなことを感じることがあります。
電子基板を白紙から設計できる技術者は絶滅危惧種になってきていますね。
会社として、できるだけ部分改版で済ませたい、というのも正しいのでしょうが・・・
あと、良く思うのは、一昔前に比べて一つの案件に使える時間が減った、と言う事です。特に難しい案件の場合は自分の頭で考える時間と言うのが結構必要で、これはコンピュータやAIがいくら発展しても、それほど劇的に必要な時間は減りません。それでも与えられた時間が減るから、結果、検討する時間が足りず、深く練れない。
ものづくりの深くて楽しいところまで到達させてもらえない若手が増えているのを、何とかしたいと思ったりしています。
ミュートしたユーザーの投稿です。
投稿を表示なにかいろいろと通じるものがある投稿ですね。
電卓とそろばんも思い浮かべたし、
出汁の取り方と化学調味料も思い浮かべました。
半導体業界が代表的なように、ファブレスとファウンドリへの二極化が進みそうですね。
クルマの故障でも修理より交換。「エンジニアがチェンジニアに」とは、うまくいったものです。
戦艦大和の手書き設計図を見て、CADが当たり前の現代で、あれを手書きできる人が何人いるでしょうか。
でも、CADが悪いわけじゃないと思うので。